蚕都上田アーカイブ・・・・・・120年前の講義が甦る、小県蚕業学校長 三吉米熊講義『外国養蚕術』他『蚕体生理学』『蚕体病理学』『桑樹栽培法』他

sensei

三吉米熊先生

寺子屋のような学校だった 
「小県蚕業学校は蚕業教育としての最初の機関で、校長は設立当初より替わらない。故に蚕業学校の三吉か、三吉の蚕業学校かとも思われるほどで、子弟の関係は全く昔の寺子屋式である。
 先生は性厳格にして朴直、又一面には愛情の濃かなところがあった。学校における先生は我らの父、家庭においての相談は全く我らの母であった。」(瀧澤七郎 明治30年卒業 『上田東高校百年誌』平成3年 155p)(かなづかい、漢字など現代風に改めた、以下同じ)



名利を求めず一小事業に専心 
 「三吉君ニ畏敬ノ念ヲ抱ク所ノモノハ外デモナイ三吉君ガ毫モ名利ノ事業ニ憬ルルノ念アリトモ見エズ一旦飄然長野県ニ其居ヲ移シテヨリ以来生キタルガ如ク死シタルガ如ク何人モ三吉君ノ消息ヲ云ハザル間ニ三吉君ノ同県ニ於ケル根據ハ牢トシテ抜クベカラザルニ至ツテ居ツタ・・・・
 一小事業に一生ヲ犠牲ニ供して顧ミズ専心只管長野県ノ蚕業ノ発達ヲ希フヨリ外ナイ是レ人ノ及バザル所一世ノ模範トスベキ崇高ナル人格・・・・・」(東京帝国大学農科大学教授農学博士 横井時敬 『創立二十五年記念帖』大正5年)


天然の法則に従い 人間の僭越を許すな
 「今汽車だ,電信だ,電話だ,蓄音機だ,X光線だ,と並べて見ると人間の知能ほど恐ろしいものはないやうだ。然し,それは人間の得手を引いた驕慢病で,ひとたび宇宙の大構造と天然の妙機とに考へ及べば,吾輩の知能なるものは,如何にささやかな数にも足らぬケチなものであるかが思ひ浮かぶ。
 ・…天は人間の僭越を許さない。自然の妙機に順ふものには福を授ける。これに逆らふものには禍を投げ与える。あらゆる事業が必ずこの法則に違背する事は出来ぬ。独り我が養蚕の業のみが例外だといふ理由は無い。吾輩の遵奉すべき金科玉条は,寝ても醒めても天然の法則を蔑ろにせない,飽くまで忠実に奉公をするといふ,この一行にあるのみだ。
 それでは,どういふのが天然の法則かと説明を求めるだろう。天然の法則だなどと,角な文字を使ふから面倒になる。「無理をするな」といふ事は,即ち天然の法則に順へといふことなのだ。然し自然の成行きに任せるといふ事は天然の法則に順ふといふ事とは違ふ。なぜとなれば自然にも乱調といふ事があるからだ。」(三吉米熊『通俗養蚕講話』77-78p)



 蚕糸業こそ長野県の富のみなもと
 長野県は気候の寒い山ばかしの国である。何の職業を営むにも不自由千万な下等国であるが,その長野県が今日日本全国のうちで,富の平均よき事,従って教育の普く亘って居るといふ二点について他の諸県下に秀でて居るといふものは他に何の仔細もない。ただ一に蚕糸業の影響である。
 若も長野県が普通の農業にばかし凝り固まって居ったとすれば,どうであらう。あの地味の悪い劣等地で,割合に多くの費用をかけて割合に少ない収穫を得たところで到底人並々の顔をして行ける道理はない。恐らく日本全国の中でも最も富度の低い貧乏国になって仕舞ったらう。(『通俗養蚕講話』311p)





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