蚕都上田アーカイブ・・・・・・120年前の講義が甦る、小県蚕業学校長 三吉米熊講義『外国養蚕術』他『蚕体生理学』『蚕体病理学』『桑樹栽培法』他

sanshigyou

蚕種製造

国立国会図書館近代デジタルライブラリー『日本商工人名録』より塩尻村

 『日本商工人名録』より塩尻村商工人名のページ。明治25年出版。全国の商工業者の一覧。1000頁を超える大部の書。そのうち、長野県塩尻村は蚕種業者26軒が掲載されている。
 この塩尻村(現上田市)の蚕種家は近世よりこの地に根を張って大きな商いをしてきた者たちだが、養蚕がさらに拡大していくと、地元農家に蚕種を提供する小規模な蚕種農家が村々に1,2軒は現れるようになっていく。手広く蚕種業を営む家から近隣の普通の農家に嫁いだ女性が、現金収入のために女手で種屋(タネヤ)を始めた、というような例が存在する。

桑園

塩尻小学校明治42年
山麓に復元された桑畑

 左の写真は塩尻小学校。明治42年。小学校裏手の山腹に桑畑が広がる。かなり高いところまで桑畑が開かれた。桑の葉を摘むのは、たいてい子どもや女性の仕事だったが、きつい労働だった。家内の副業としての養蚕は、多くが女性や子どもの労働によって担われた。

昭和6年発行の上田市案内図より

 昭和6年の地図。千曲川流域、市街地の外には桑畑が広がる。

養蚕

蚕と経済
 「蚕は、小さいときから1ヶ月くらいで繭になって、繭から生糸になっていく。蚕が一番お金が取れた、繭を売れば農家は現金収入を得ることができる。農家はお金をいただいて、私たち子どもの頃は夏に着る服を買ったり、秋に使う肥料を買ったり、いろいろなものを買った。
 秋蚕、秋の繭はそのお金で、まず足袋など冬の支度、冬着を買ってもらったりした。そうやって農家の人たちは蚕から繭を作り、日常生活品を買った。だから、蚕の値段は大変重要だった。
 このあたりでは、蚕は年に4回飼える。私の家では、蚕は3回飼った。春蚕、夏蚕、もうひとつは晩秋蚕で明日にも霜が降るという時期に飼うもの。桑とある程度の温度があれば蚕は飼うことができる。
 
蚕を育てる・蚕と桑 
 小さい卵から孵ったばかりの蚕は蟻蚕といって、蟻ごくらいの大きさ。紙の上で卵から孵ったばかりの小さい蚕を、鳥の羽で作った小さな箒で紙から落としていく、それを掃き立てという。紙を掃くようにして小さな蚕を落としていく。
 私の子どもの頃は、蚕を飼っていれば、学校から帰ってまずやることは桑を摘みにいくこと、自分の家の桑畑に行って桑をとることだった。
 雨の日は桑の葉がぬれないように取ってきて、葉の露を払った、部屋に湿気がこもらないように、湿気があると蚕は病気になってしまう、春蚕は4月から5月、5齢の頃は梅雨の時期、一番食べる、その頃の雨が一番困る。
 昔はカッパなどなかった。蓑笠、おじいさんに子ども用のものをつくってもらって雨の日も仕事をした。ゴム長もなかった。蓑笠も農家の冬仕事だった。おじいさんがつくった。子どものものもつくってもらった、雨の日はこれを着て桑をとりにいった。これだとむれない、具合がとてもいいんだ、昔の人はよく考えたものだ、これがない家はゴザを肩にかけて使った。

 春蚕の桑は、根っこから切ってはいけない。夏蚕の桑がなくならないようにツメでこうやって桑の葉を摘んでくる、指に道具をはめて桑の葉を一枚ずつ切っていった。そうしないと夏、秋に芽が出なくなってしまう。春は一枚一枚葉を摘んできた。それで蚕には刻んで食べさせてやった。大きな葉を食べやすいようにしてやった。
 蚕を見てみると、小さな前足二つでもって葉を押さえて、そのはじを小さい手でおさえて食べていた。蚕は掃き立てから4回眠る。昆虫はたくさん食べて休んで脱皮をする。脱皮してだんだん大きくなっていく。
 5齢(4回脱皮後の蚕)になるとサワサワサワサワサワサワ、まるで雨が降っているような音をたててよく食べる。毎日、朝、桑を刈り取って、家に運んだ。
 

 湿気はいけないので、桑の葉がしおれないように、地下室に保管した。そうしなければその都度桑畑に桑取りに行かなければならなかった。私たちの頃には、朝夕一回ずつ、貯桑場があってそこへしおれないように保管した。
 5齢の蚕はシキといって透き通って見える。これをシキルという。そうなった蚕は、シキテイル、これもシキているといってお盆にみんなとって、繭を作る部屋に入れる。それをマブシというが、それに蚕を放してやる。そうすると今度は自分の繭をどこに作ったらいいか、ということで蚕は場所を探す。自分の場所を探してそうして8の字に頭を動かしながら糸を吐き出し自分の繭を作る。
 繭には蚕の糞や尿がついているので、回りをきれいにして、きれいな繭にする、 
 蚕を飼っている家は私たち子ども頃は大変に苦労した。
 蚕のほかに家畜も飼っていた。ウサギアヒルヤギ全部自給自足の生活、ヤギの乳を飲む、ウサギはお正月のご馳走だった。昔の農家はみんな貧乏だった。
 そういう状態がいつも続いた。春も夏も秋も、それで、蚕は桑を食べればうんこもたくさん出る。蚕が桑を食べしまうとうんこだけとってきれいにしてやる。当時は蚕はお蚕様といった。農家にとってみれば、一番の現金収入のもと。だから蚕を呼ぶにしてもみんなお蚕様といった。
 私たちの小さかった頃農家は殆ど蚕を飼っていた。蚕の下に布団を敷いて寝ていた。だから上から蚕の糞がおちてきた、みんなそういうところで大きくなった。そのくらい蚕というものは現金を得るに大事なものだった。蚕さんがだめになると、その家は貧乏になってしまう。蚕は大事に大事に育てなければならなかった。
 
蚕都上田・桑盟橋・上田紬
 また良質の桑が上田にはあった。昔、真田町の傍陽村に桑盟橋という何の変哲もない橋があった。なぜ桑盟かと聞いたところ、この付近で取れる桑は県で一二を争う上質の桑で、県外からも桑の買い付けに業者が来た、そこでこの桑一貫目はどのくらいか、その売買両者が第三者にわからないように橋の上で交渉した。
 そんなことで桑盟橋という名がついた。と説明してくれたお年寄りがいました。なるほどと思いました。桑もいい、蚕の種も優秀だ、だから当時から日本全国で上小地区は良質の生糸が取れた。生糸は繭から取る。しかし、できたばかりの繭の中には蛾が生きている。糸をとるためにそれを煮る、かわいそうだが蛹は死んでしまう。繭をぐつぐつと煮る、そうすると繭はほどけてくる。それを「みご」という道具で座繰って糸にした。 
 それともうひとつ織物にする紬がある。紬は上質でない繭からできる、それを糸に仕上げて真綿にする。真綿から紡ぐ、こうして紡いで細い糸にしていく、それをまた糸にして織物にしていく。それを紬といった。

蚕と暮らした
 学校から帰ってくると、桑を取りに行った。晩秋蚕になってくると、鎌で桑の枝を一本ずつ切るんです。切ると来春に新しい芽が出てくる。春に一番先に飼う春蚕の桑になっていく。そうやって毎年毎年最初は桑の葉を摘んできて最後のときは刈り取って、それで刈り取った桑の枝は桑畑の真ん中に立てて肥料にする、
 桑の棒は紙にしたこともあった。楮、三椏と同じとても強い紙ができた。子どもの頃には紙をつくった。桑の皮を使った紙をつくった。農家の冬仕事だった。桑は蚕の食料になって、お蚕さんで生活し、蚕がなければ私たちの生活は苦しいものだった。・・・毎年毎年こうやって・・・・・・・・ 戦争が終わってから、蚕業もアメリカから人造繊維ナイロンが入ってきて、養蚕は衰退していくことになるが・・・・・
 蚕種を取る蚕はまだいる。繭を破って、蛾になって出てくる。蛾の鑑別士という人が昔いた。雌雄を識別して雄は殆ど捨てられてしまったが、メスの蛾に蚕卵紙に卵を産ませた。
 翌年まで低温で蚕種を保存するために、このあたりでは蚕種を塩田の室賀の氷室に貯蔵した。春になるとまた掃き立てをする。繰り返し繰り返しそうやって毎年蚕を育てた。
 うちわに蚕を這わせた、やっこさんここしかないと思って、本当はいやなんだよ、一生懸命糸を吐いてうちわができた。蚕5-6匹で絹糸のうちわができた。
 真綿、布団を作るとき、これがなくてはいけない、化学繊維にくらべて、木綿の綿の場合必ずこれが必要だった。
 昔、冬仕事として真綿から糸を紡いだ。これをずーっととってくる。これを織物にする。上田紬、毎晩やっていると指の皮がむけてくる、そうならないように竹の皮を張って、つばをつけて、こうやって真綿から糸をとった。そういう冬場の仕事をおばあさんから子ども頃に教わった。こうやって紡いだ糸を使って紬を作った。塩尻では織物をやっているところがある。
 それを、機にかけて織った。三日に一反くらい織った。自分で着るものを作り、残りは太物屋さんに反物を売りに行った。その代金で必要なものを買った。
 昔の人はほんとうに苦労した。桑畑の桑取りから始まって一ヶ月間蚕の下に寝て、ふんが落ちてくる。学校へ行って帰ってくれば、すぐに桑とりをする。それに比べれば、今の子どもたちは幸せですね。(上田創造館 2010年夏の体験教室より)
 

製糸

常田館製糸場、右奥は5階建繭蔵、左はコンクリートの繭蔵 右は5階建て繭蔵、奥はコンクリート製

繭蔵

 JR(新幹線)、しなの鉄道(旧信越本線)上田駅から、東に向かう道路は、かつては、蚕影町と名づけられ、蚕糸業関連の倉庫や工場が立ち並んでいた。左は当時の姿そのままの繭蔵。常田館と呼ばれた製糸工場は明治33年操業開始、昭和59年に製糸工場は操業を停止したが、三つの繭蔵、炊事場、風呂場・食堂棟など14棟が現存している。従業員の生活の場として使われた建物が残っているのは全国的にも珍しい。上(左右)の写真の建物は、この繭蔵の向こう側。

上田紬

under construction





a:3930 t:1 y:2

powered by HAIK 7.0.5
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional