蚕都上田アーカイブ・・・・・・120年前の講義が甦る、小県蚕業学校長 三吉米熊講義『外国養蚕術』他『蚕体生理学』『蚕体病理学』『桑樹栽培法』他

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三吉米熊は、長州の出身。農科大学を卒業後、長野県に奉職し、明治22-24年農商務省の委嘱によってイタリア・フランスの蚕糸業を視察した。帰国後、小県蚕業学校初代校長(明治25年~昭和2年)として、35年間、蚕業教育と地域の発展に尽した。

三吉米熊

上田城跡公園の三吉米熊像

 三吉米熊は、万延元年,長州に生まれた。父は長州藩士三吉慎蔵。父の新政府出仕により東京に出て、明治13年駒場農学校(後の農科大学)を卒業し、明治14年長野県勧業課農務掛として長野に赴任した。明治22-24年には農商務省から欧州に派遣され、イタリア、フランスに滞在して蚕糸業の調査に当たった。帰国後、明治25年に長野県小県郡立蚕業学校の初代校長として迎えられ、昭和2年9月68歳で亡くなるまでその職にあって、人材を育成し、蚕糸業の発展に尽くした。その活動は小県蚕業学校のみならず、蚕糸専門学校(現信州大学繊維学部)の創立をはじめ教育界から、実業界にも及び、広く長野県蚕糸業の発展に貢献するものであった。
 小県蚕業学校(現長野県上田東高等学校)同窓会では、その功績を称え上田公園内に銅像を建て、現在もその命日には同窓生や生徒たちが清掃を行っている。

 

三吉米熊略年譜

1860(万延元) 6月10日 長府(山口県)に生まれる
1880(明治13) 内務省勧業局農学校(後の農科大学)を卒業
1881(明治14) 長野県に赴任 勧業課農務掛となる。県内を巡回して技術指導を行う。
1886(明治19) 各地で蚕業講習会が開催され、講師として活躍
1887(明治20) 4月ー9月上田で蚕業講習会開催。受講生145名。
 講習科目は,蚕体解剖及生理病理,動物学大意,植物学大意,化学大意,
 理学大意,蚕種検査法.顕微鏡使用法。
1889(明治22) 農商務省からイタリア・フランスの蚕業事情調査を委嘱される。
 1891(明治24)年に帰国。
1892(明治25) 小県郡会、小県蚕業学校設立を決議(3月)4月1日校長に就任。5月10日開校。
1898(明治31) 内閣によって長野県小県蚕業学校校長兼教諭に任ぜられる。
1899(明治32) このころから、長野県農会名誉会員、蚕糸業諮問会委員(農商務省)、
 大日本蚕糸会技芸委員等多数の公職に任ぜられ、県内外で広く活動した。
1900(明治33) 権現坂上に校舎移転
1901(明治34) 県立に移管
1908(明治41) 上田蚕糸専門学校創立委員に任命される(文部省)
1916(大正5) 創立25周年記念式行われる。三吉校長銅像建立される。
1923(大正12) 校舎現在地へ移転
1927(昭和2) 9月1日死去(68歳)






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