蚕都上田アーカイブ・・・・・・120年前の講義が甦る、小県蚕業学校長 三吉米熊講義『外国養蚕術』他『蚕体生理学』『蚕体病理学』『桑樹栽培法』他

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『西筑摩郡勧業会日誌 養蚕講話筆記』

三吉米熊著『西筑摩郡勧業会日誌 蚕業講話筆記』明治31年2月 長野県西筑摩郡

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 三吉米熊は、明治29年、12月1日から5日まで、長野県木曽郡大桑村で開催された西筑摩郡第6回勧業会に招かれて講演した。この『蚕業講話筆記』はそのときの講演と勧業会の記録。講演は300余名の聴衆を集めたが、日を追うごとに評判を聞きつけた人々が会場を訪れ、米熊の講演に聞き入ったという。
 米熊は、信州の養蚕業のあるべき姿について語り、自らの欧州での見聞をもとに、人びとにあるべき心構えについても語っている。

 「生糸の改良を希ふには根本たる養蚕事業の方より充分に研究をいたして漸次良き繭を取ることにせんければならない。故に之れが即ち改良上の急務であるから蚕業学校を起こすか伝習所を設くるとか又は現に常会の如きものを企てて改良の手段を講ずるのであります。・・・・3p
若しも信州にして養蚕も盛んでなく亦生糸の産額等も僅少のものであったならば恐くは今の鉄道も見ることが出来なければ或は生活の度も今日の有様ではあるまいと考へます。斯く云ってみれば実に養蚕事業は信州にとっては容易ならざる大切な事業であります・・・・4-5p

「私は外国の検査所に一ヶ年半も従事しておりましたが,其以前よりのもあり又私の在勤中にもありましたが何れも不正の品は日本の何処より参ったものと附札をなして検査所に並列して一見直ちに分かることに致して縦覧致させますが稀には蚕糸の中より小石が飛び出したり或は鉛などの塊がありましたり甚だしきは天保銭などを入れて糸量を騙る手段とし・・・
・・・・・兎角日本人の考へが外国の事情に通ぜざる為か生糸は横浜にての売買が出来れば其れで事足れりと云ふ浅墓の考へを持つものが多いから自然進歩が鈍い様に思はれますが決して横浜の市場に甘んずることなく売行先の事情をも考へなければ日本生糸の声価を博することは出来ませんのであります。149p(片仮名を平仮名にあらためた)

  この書は、奥付けによれば、明治31年2月に西筑摩郡役所が長野市の印刷所で印刷して出版したもの。表記は漢字とカタカナであった。
 翌32年、この書から西筑摩郡蚕業会関連の記事を削除して、養蚕部分のみ、カタカナをひらがなに直して出版されたのが同名の『養蚕講話筆記』であった。これは、長野市と東京の出版所の名が奥付けに見えるところから、全国的な販売網によって発売されたものと思われる。






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